22年8月に実施されたジャクソンホールでのパウエル議長のスピーチでインフレファイターのポール・ボルカーについて触れる部分がありました。
今回は40年前のインフレを退治したポール・ボルカーFRB議長時代の振り返りを行います。
この記事に書いてあること
- 政策金利は11%→19%迄利上げ
- CPIピークアウトにより利上げ終了するも再度利上げを行う結果に。
- インフレが2桁を割るまでに2年かかり、アメリカ経済は2度のリセッションを経験。
- 現FRBはこの歴史を認識し、23年の利下げ観測に対して否定的な発言をしている。
ポール・ボルカー時代
在任期間
ポール・ボルカーは1979年8月にカーター政権下で選任されました。
その後1983年に続くレーガン政権下でも再任され、1987年8月に後任のアラン・グリーンスパンにFRB議長職を継承するまでの約8年間FRB議長を務められました。
当時のCPI
選任時のCPIは1973年10月の第四次中東戦争による第1次オイルショック、1979年1月のイラン革命による第2次オイルショックによりCPIは対前年比で15%近く迄上昇していました。
そのため、ポール・ボルカー議長が解決すべき事項はインフレーションの改善でした。
また、そのインフレを退治した事からもインフレファイターとしても有名です。
ポール・ボルカーの政策
ポール・ボルカーは就任後直ぐの1979年10月にインフレ政策を打ち出しました。
その後、翌年3月迄の5か月間で14%→17.5%迄金利が上昇しています。
その成果もあってかCPIは80年3月で14%のピークを記録し、それと同時に利上げを終了しています。
しかし、CPIは12%代で横ばいとなり、高い水準を維持したためFRBは80年10月に利上げを再開する事となり、80年3月の水準より高い19%迄金利が上昇します。
そしてCPIが2桁を割った81年5月に利上げを終了し、ようやくインフレが落ち着く結果となりました。
当時はインフレがピークアウトした後もCPIが2桁割れに到達する迄1年2か月かかり、インフレ率の低下に手こずっていた事がわかります。
そして上記政策も影響したためか、アメリカ経済は80年1月~7月と81年8月~82年11月の2度リセッションを迎えています。
特に2回目のリセッションは1年3か月に渡る長期間となりました。
(下の図はS&P500とリセッションの期間を示したものとなります。)
ポール・ボルカー時代の教訓
現在のCPIは8%代で推移しており、政策金利も2.5%と当時とは水準が大きく異なるものの、景気後退を辞さないインフレ退治への強い姿勢は同じように感じられます。
そして、ボルカー議長時代に起こったインフレピークアウト後の利上げ停止によるインフレが高止まりした歴史を現在のFRBは認識していると思われます。
その結果が地区連銀総裁及びパウエル議長による23年の利下げ予定はないといった発言に繋がっているのではないでしょうか。
今回はポール・ボルカー議長時代の振り返りを行いました。
また次回もよろしくお願いします。
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